昭和45年2月22日 特別奉修委員
昨日、(ほんで?)の久保山さんが二度目のお参りをしておられましたが、こっち見られてからあのー、鼻血が出てきたと言うてありましょう。信者控え室で休んでおられましたら、あのー、今日あのー、今朝のご理解にあの、体質改善という事をね頂きましてから、今日お届けに出て見えたら、昨日のことを頂いてですね、あのーこう、人指し指からですね、血の出とっ所を頂きますもん、(ほんにゅらあたろ?)ほんで私はそのすぐあのー、ほーこれはだいたい久保山さんの授業のように、あるだけですよね、何時もあの、沢山鼻血が出る、だって医学的に(言ったら大変?)危険な病気だそうですね、鼻血が出る、沢山出る、何時も出るという事は。
ですけれども、あのー、信心でそれを頂くとどういう事かと言うと、久保山さん、あん、あんたがこれから鼻血が出なかったら体質改善の(よっと?)ですよ、て言うて言うた事でした。だけんがあの、あの、例えばケガをするでしょう、ケガをするときにすぐ血が出るというのはですね、これは、あのもう底から、あのー、腐ったりですね、黴菌が入ってはならないから血が出るようになっているんだそうです。そういう例えば神様の働きがあっているわけですよ、だからその、あー、まあ人差し指と言う事、また血が出ると言う事、そこから、あー久保山さん、久保山さんではわからなさらん事があろうとこう、私共は分かれせて頂く事があると言う事を、まあ感じたんですけれどもですね、結局あの、おー、な、自分の心をケガした、ケガす、ケガする時に血は出ると言う事ですよ。ん、と同時にです、なそれも、それとても、んそれがよくひどくなっちゃならんから血が出ると言う事ですよ。ね、だからんなら鼻血がでるだからその事がよか事じゃない、けれども過去においてのその巡りというのがですよ、ね過去においてのその巡りが、あー、言うならば、あ人差し指をケガしているようなもんじゃないでしょうかとこうね、ん、その、その巡りが、そげん時々血になって出てくるわけなんです。ね言うならば、心をケガしたり、汚したりしておっとの、お粗末、御無礼の、がそういう形になって現れてくると言うような事も言えます訳です、これは私はあのー、まあ他ごとですけども、一番あのこれを感じた事はですね、あの「荒城?」さんが、あのー、ね椛目におります時に、え、あのほら、藤原さんね、「藤原あいこ?」さん、うんと、もうそれこそ、やり(でばぼちょふであげて?)けいこ、けんかするような、あの日じゃったですよ(だいかくけした?)のは、いかにね、あの自分、この体にですね腹を立てるとか、あの汚すとか、けがすとかという事がいかに体に触るかと言う事がわかるでしょう、もう死ぬか生きるかのような、例えば人でしたでしょう、皆さんがが承知のとおり、そういう人があんた(ぶでおぼおちょう?)振り上げてから、あれだけけんかするち言う位じゃけんあんた、こげん腹立てた、それがもう、その場で、言わばね、ああいうその事になるようにです、いかにこの私共が心を大事にしなければならないと言う事が、それからでもこう分かりますよね、そういう意味でいわいる、あ私共がな、せきがでても、風邪をひいてせきが出るとか、熱が出るとか、もう一切がですね、だからまあ紳愛ですが、一切がね、ん、いわいる今体質改善があっているんだと、言わばせきが出ても、タンが出ても、ツバがでても、鼻が出ても体質改善がありよる事としてお礼を申し上げる事以外にはないという事です。ねお互いが心の体質も、じゃ信心の体質もじゃけれども、肉体の体質もやっぱそうなんですから、お礼を申し上げる事以外にないて言うこと。
今私御神前にでらせて頂いてから、閉まったとたんに「とむらおう」という字を頂くんですよね、まあ縁起でもないという感じですけれどもね、けれども私はあの今朝の御理解からその、まあすぐ、まあ直結してまあ考える訳なんですけれども、えー、いわいる体質、信心の体質改善という事は、もう日に日に私をね葬むっていく以外にないという事。ね、私という者を空しゅう、無くしていくという事以外にない事。だから今日どういう事が例えばあってもです、それをもう、それこそ流れ川三尺で流していくという事、もうここには食べ物、どんな汚いもの洗っても、ここでも食べる物が洗えれるようにですね、流れ川さんちゃくと言うように、もう私でも流れに、流れに切らせる事です、私という者を葬りさらせる事です、いわいる私を無くするということ、私を無くする所には、痛いもなからなければ、腹立ちもないとですよ。腹がたっとる時には私があるから腹がたっとるとですよ、ねそうでしょうが、だからその修行としてです、んならもう自分はほうむっとる自分だから、不平不足どん言うちゃならんという事になるわけですね、私の何時もの話じゃないけれど、ね(たか祭り?)に行ってから、うどんが出たと、はー親先生がうどんが好きじゃからっと言って、うどんの上に愚はいっぱい入れてあるけれども、中に清めが入ってない。私はその自分がもう毎日毎日が死んだ気でという修行をしとうとじゃけん、死んだもんがそげん、死んだもんがそげん(おいはらさんがこうじゃいわっしゃるはらない?)と思うとるもんじゃからね。私が、こう言わんで、黙って食べておる、もう食べてしまいよる頃ごろ、「初代!」ちしか言いよるとですもん、今んとは清めの入っとらんとじゃったがっち言うちから、あら本当もう清めの入っとらんじゃったって・・・。けども私はもう(えはえさん?)のつもりじゃけんで言わんじゃったといったような修行すらも要る事んなる訳ですよ。例えも、これあんた清めの入っとらんじゃんの!って言わず、不平を言わずにです、それをあの、黙ってねもう死んだ気でおる、むな、空しゅうするという事、葬っておるならそげな事言う必要はない、そ、そげんして行ってですね、体質改善が出来て行くのじゃないでしょうかね。ん。どうでも一つそこん所のお蔭を頂きたいですね。
今、あー、「くまがえ?」さんが御届されますのに、ちょうどこう疲れた時にお乳んは、あの、所が、で、御理解にあった、最後の所にあったでしょう、あれは欲の事でしたです、ね。子供が、皆さんも体験ずみだと思うんですけど、あん、皆が皆がちゅうわけじゃないけれども、お乳飲んでかてっぽんとは自分でこう押さえてから飲むでしょう、あれはもう欲の始まりと言われておるですね、もうこれは俺のもんだ、人には扱わせんっちいう訳なんですよ。という、まあ御理解の所を聞かれた訳でしょうけれども、先生実は私も今日お乳ん話しば、あの、こと、お夢頂いたって言われるわけです。それは、まあ意味は何か、あー、何ですかね、「のぶ子?」さんかなんか、ちょっと映画です、「のぶ子とおばあちゃん」かなんかという、テレビや映画に「勝美?」さんちいうとが出て来るんだそうです、非常に朗らかな子供が出て来るんだそうです、その「勝美?」さんが「くまがえ?」さんにお乳をも飲ませよると、反対に(笑い)。私が飲ませるとならよかばってん、あんた「勝美?」から私に飲ませられよる所ば頂いたげなたい、それけん私はすぐ思いましたたいね、これはもう、もう「のりお?」の事と思いました、「勝美?」さん家。ねもう信心なそないけれども、もう本当もうさら、もう(くまがえ?)さんの自慢の種ですね、ですけれども。自慢するごとあるですそん本当そ、「のりお?」さんは。ね信心はないけれども、もう、ですから、本当に子供達が信心せんって言う事がです、まあ信心の一つの迫力になって行きよる訳でしょう。「くまがえ?」さんの、という事は「のりお?」さんがお乳を飲ませよるという事になる訳ですよ、「のりお?」さんが「くまがえ?」さんの信心を育てよるという事になるわけですよ。してみると、信心しない子供ん事、(犯人どうしているちゅう事や?)こっちが育ちさいすりゃぁ、お蔭頂くっち言う事。(笑い)
私は、今日はそれを頂いてね、もうそうどこじゃないと私は思いました。ん、ですけんね、もう今のお話の中にも、金光様の信心の全てがあるって言うても良かくらいですよ。大変難しい事ですけどね、自分を葬るといったような事は難しい事ですけれども、そこにはですね、その修行として、なら不平不足を言わぬ、ね、うどんに清めが入っとらんじゃったちゃ、こりゃぁあんた清めが入っとらんじゃんなっち言う事いらん、甘いも辛いも言う事はいらんという事。そういう修行がね、自分を葬って行く姿、ね。という事と、なら同時にですね、まあ「久保山?」さんの例から申しますとです、そのようにして体質改善っていうものはして行く、けどもそれが信心がないと、はーどうしてじゃろうかこりゃぁ自分なこれがもう知命的なものになるじゃないじゃろうかと、これで自分な命を落とすじゃないじゃろうかというような頂き方をしたらですね、もうそれはいよいよいけないでしょうね。いわいる、私最近言ってるね、頂く心あらばさわる事なしていう事なんです。もうそりゃぁ本当にそげん思います、もう頂く心あらばさわる事なしというお蔭を頂かせてもらう、そこがねスッキリな、お互い出来ませんけども、それがスッキリする事を目指して信心する、なそういう事がね私はもういよいよ体質を改善して行く事じゃないか思いますよね。どうぞ。
それは問題ないとです、だから本当言うたら、おか、ねー、こっちの方がお乳をもらいよる方です、ん、与えとるごと思っとるばってん(笑い)。おかげ頂いた・・・。しかし神様ちゃ有り難いねそげな風にもう色々ねーお知らせ下さってから。あん、本当の事を教えて下さる。